アウトプットはインプットを超えないというお話
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アウトプットはインプットを超えないというお話

加藤です。

本日は「アウトプットはインプットを超えない」というお話を少々。

本日のお話はあくまで私の私見ですので、
全ての人に当てはまることではないですが、
多くの場面で感じたことですので、なにかのご参考になれば。

さて、アウトプットとは「創作」であったり「創造」というと大袈裟ですが、
資料作りであったり意見表明、実際の行動などもそれに含まれます。

逆にインプットとは読むことだったり、
繰り返し動作を反復するような練習であったり、
はたまた何を見る・聞く・感じるというのもそれにあたります。

では、この「アウトプットがインプットを超えない」とはどういうことでしょうか?

もう少し違う言い方をすれば、

「自分が知らないものを表現することはできない」

という言い方になります。

形や色、匂いや味、また動作に方法、
どれであっても自分が一度体験することで、
それを「知っている」ということがなけば、
全く未知のものを生み出すというのは基本あり得ないことです。

時に知っていることを掛け合わせることで、
偶然知らないものが生まれる場合がありますが、
これは知っていることを積み重ねた結果であり、
最初から知らないことを生み出せた訳ではないのです。

ここまでお話したように、
見て・聞いて・感じて、体験したことを、
パズルのように組み合わせたり、
合成させたり分離させたりすることで、
色々なアウトプットを作り上げているのです。

なお、本日の内容と日本の職場で言われることが、
微妙にずれていることに気がつかれましたか?

そうなんです。

日本の職場では「資料を作っていることが仕事」
というようにアウトプット作業ばかりを評価します。

ですから、様々なニュースサイトで情報を集めている人間を、
「さぼっている!」と評価したり、
外出が多い人を「仕事をしていない!」と評価したりします。

で、あるにも関わらず、
資料の出来が悪い場合には、
「もっと引き出しを増さないとな」
などというわけです。

あまりにアウトプット作業至上主義に陥るあまり、
インプットをないがしろにし、
さらにアウトプットの質を下げているという悪循環なのです。

また、基本練習であったり、
反復練習を軽視する傾向も上記と同様で、
繰り返し繰り返し、同じ動作を突き詰めた体験があればこそ、
ふと意図しない出来事が起きたとしても対処ができるのです。

これは自動車やRCカーのような、
運転するという動作を行う場合がわかりやすいでしょうか?
より細かく・繊細な動作がなぜ必要か?
そうするとどういう結果が生まれるのか?
は基礎的な練習をしっかりやらなければ身につかないものなのです。

ここまでよいアウトプットを生むための、
インプットについて色々とお話をしてまいりましたが、
皆様はどうお感じでしょうか?

もし、最近よいアウトプットがでていないという方は、
インプットに目を向けてみてはいかがでしょうか?

 

なにかのお役に立てば幸いです。



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投稿者プロフィール

加藤美紀
P&A Works Company株式会社 ワークモデルクリエーション事業部所属のシニアアーキテクト。

名前は紛らわしいが「よしのり」です。

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