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MDR-CD900ST神話を語ってみるというお話 その1

  • 2023年10月26日

加藤です。

ソニーストアより

 MDR-CD900STってご存じですか?ボーカロイドブームであったり、プチDTMブームでやたらと神格化されてしまったソニーが業務用に開発したモニターヘッドホンです。

 MDR-CD900STは販売開始されたのは1989年。ソニーとソニーミュージックスタジオが共同開発したモニターヘッドホンであり、最初はソニーのスタジオで使用するために開発されたものが使用したミュージシャンからの好評もあり、最終的に一般販売もされるようになったというものです。ちなみに生まれが業務用であることもあり、保証期間は存在せず、底箱も白箱、故障修理は全て有償というかなり変わった商品であるにも関わらず、「音楽を作るなら900ST!」であったり、「一番よい音のヘッドホン」という謎の評価によりリスニング用途でも使われるという不思議な事態が発生するほど、MDR-CD900STが特別な機材として神格化されているのは事実として認識しておく必要があります。

 さて、ここまでは開発経緯や一般評価をお伝えいたしましたが、そもそも「モニターヘッドホン」ってなんでしょうか?対になる言葉として「リスニングヘッドホン」というものがあります。簡単に言えば、モニターは「キチンと音を確認できること」を目的としており、「リスニング」は「音を楽しむ」ことを目的としているといえばわかりやすいでしょうか?

 つまり、MDR-CD900STは「音を確実に確認できる事」を目的に、プロオーディオエンジニアやプロミュージシャンが使いやすいようチューニングした業務用機器ということが言えます。逆にリスニングヘッドホンは「気持ちよく、心地よく音楽を楽しめる」ことを目的とするため、楽器一つ一つの音が聞こえることより全ての音が混ざり合ったものを楽しめるようにチューニングされるわけです。

 ヘッドホンという構造上、素材の差はあれどいうほどモニター目的のものとリスニング目的のもので異なるということはありません。電気信号を振動に変換して耳に鼓膜に届けるという根底は同じなのですから。

 さて、ここからはモニターヘッドホンに話を一旦絞ります。モニターヘッドホンでは例えばボーカル録音をする際にはボーカリストがヘッドホンをしながらオケ(演奏)を聴きつつ、自分の声を聴きながら作業を進めていくわけですが、この際に「聞いて心地よい」であったり「楽しんで聞く」ということは全く必要でなく、「自分の声がしっかり認識できる」「伴奏がしっかり認識できる」ということが優先されます。これはボーカリストだけでなく録音状況を確認するエンジニアサイドでも言えることです。キチンと音が録音できているか?どんなニュアンスで録音できそうか?ということが知りたいわけです。そうなると様々な音を個別に認識しやすいこと、さらに脚色のない生の音を確認できることそれがモニターヘッドホンには求められるわけです。ちなみに「ステージモニター」というジャンルもあるのですが、これは「とにかく自分の声・楽器の音を認識できればいい」というものなので、スタジオモニターと言われるもよりもさらに確認に振られていることを付け加えておきます。

 ここまでスタジオモニターヘッドホンの特徴についてお話をしてきましたが、実はMDR-CD900STはリスニングヘッドホンとしてみれば「気持ちよくも聞こえないし、心地よくもない」という製品であることがわかります。それなのに「ヘッドホンの王様」のような扱いになってしまったのはどうしてなのでしょうか?

 ここからはMDR-CD900STがなぜスタンダードになったのか?そしてこれほど普及したのか?をお話いたしますが、これ実は単純で「慣れた機材をいつも使いたい」というミュージシャンやエンジニアがこの機材を普及させていったというのがスタートラインになります。なにせ1989年発売ですからすでに30年以上前の環境に最適化されチューニングされた機材です。そして、当時は海外のモニターヘッドホンはとにかく高額であったこと、さらにソニーが多くのミュージシャンと契約をしており、所属ミュージシャンは必然的にソニーのスタジオでの録音が多くなる。そうなるとMDR-CD900STを使うことになり基本性能の良さで他のスタジオでも使ってみようということになりエンジニアにもミュージシャンにも広まっていったというのが普及の経緯ですね。

 もちろん当時日本の録音スタジオの最高峰ともいれたソニーのスタジオが自分たちが使いたいものとしてチューニングしたわけですから、エンジニアにとってもミュージシャンにとってもかなりよいものであったことは想像に難しくありません。そして、一度普及すると「いつも慣れた機材がいい」という人間の習慣性からMDR-CD900STは業務用として王様の地位を築いていくわけです。

 こうして業務用として普及したMDR-CD900STが一般向けに普及することになったのはDTM(デスクトップミュージック)と呼ばれる、PCと民生機器の組み合わせで個人でも音楽作れる環境が整ってきたあたりからです。ここで一つ大きな掛け違えが発生するのですが、「プロが使っているものは最高のものに違いない」というものです。

 インターネットがまだまだ普及していない当時、雑誌に掲載される録音風景で見られるプロ用のヘッドホンに一般ユーザーは憧れを抱き、盲目的に「プロ仕様機材が欲しい!」となり、結果一般販売も開始されるのですが、先にお話したプロフェッショナルな現場の事情とは別で「憧れ要素」によりMDR-CD900STは神格化された特別な機材として一般に認知されるようになっていくのです。

 と、軽く書き始めたMDR-CD900STのお話ですが、ちょっと長くなったので2回に分けて掲載いたします。今回誕生の経緯や普及の経緯、一般での認識の確立についてお話いたしましたが、次回は神格化による弊害やMDR-CD900STの現状の機器としてのスペックについてお話できればと考えております。