普段、肌身離せないスマートフォン。
様々な機能が集約され、もう生活必需品の域を超えていますね。
連絡、鍵、サイフ、銀行、などなど機能を上げ出したらキリがありません。
もう、本人よりも本人としての信用度がある不思議なデバイスです。

そんなスマートフォン、
ほんの10数年前までは、ほとんど使われていませんでした。
初代iPhoneの発売は2007年です(日本未発売)
Palmというスマートフォンの全身のようなデバイスがありますが、
ここでは一旦置いておきます。

よくアニメなどで未来の世界が描かれます。
最近のアニメでこそ、スマートフォンが拡張されたようなデバイスが登場しますが、
昔のアニメに登場する未来の世界にはスマートフォンは出てきません。
大きなレバーとボタンでガッチャンガッチャン巨大ロボットを操作してたり、
緊急事態の連絡が管内スピーカーの音声だったり、
今見るととてもチグハグな場面があります。

未来を想像する時、今ある技術の延長上にその想像があります。
残念ながら過去の積み重ねからでしか、
その先にあるであろう未来予想図を描くことができません。
チャージマン研にスマホが登場しないように(ちょっと例が悪い)

今のアニメがスマホを拡張したようなデバイスを使って
いろいろやっているのも、今の時点では未来っぽいですが、
数十年後に同じシーンを見た時、
「人と連絡取るのにわざわざ変なデバイス使ってるw」
と見えるかもしれません。

本当に先進的なものは、その時点では理解されず、
”今の技術をベースにしたちょっと先のモノ”でないと、
未来として理解することは難しい。

いま未来っぽなあと感じているものは本当の未来においては陳腐で古く、
いま想像もし得ないよくわからない気持ち悪いものが、
未来においては当たり前のモノ。

本当の意味での未来を想像することは、
私たちにとって難しいことなのかもしれません。